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2019.8.17

人生の意義を英語で!

「人生の意義について」

そのように、来る日も来る日も実験を繰り返していると、どうしても「自分は大学を出てセラミックスの研究をしているけれど、毎日毎日こんなことをしていていいのだろうか」と考え込んでしまいます。奨学金をもらってアメリカの大学で研究するような人もいれば、立派な会社に入り、優れた設備を使って実験をしている人もいる、それなのに自分は、来る日も来る日も乳鉢で原料も出たり、ミルを洗ったりしている。こんなことをしていて、一生のうちにどれだけの研究成果をあげられると言うのだろうか? 朝すると気が萎えてしまいそうな毎日を過ごしていました。一方では偉大なことを成し遂げるには、シャクトリムシみたいに歩みは遅くても、今自分がやっているような大変地味な一歩一歩を積み重ねていくしかないのではないか、とも考えていたのです。

今になって思うと、私がいくらかでも成功できたのは、私がいくらかでも成功できたのは、会社を辞める、止めないといつまでも悩むのではなく、気持ちを切り替えて、それ以降、地道な一歩一歩の積み重ねを44年間行ってきたからだと思います。そして今、私はこのようにただ1つのことを継続して努力することこそが、偉大なことを成し遂げるのだということを確信しています。継続は力なり、というように、人生で最も大事な事は、継続、つまり続けることだと思うのです。

稲盛氏はこのようにおっしゃっています。そして下記の心構えを上げていただいてます。

一つのことを継続するための5つの工夫

1 自分の仕事を好きになる

2 仕事に打ち込む、精進する

3 喜びや楽しみを見出す

4 今日よりは明日、明日よりは明後日と創意工夫をする

5 今日1日を一生懸命に生きる

(瞬間、瞬間を完全燃焼させる)

このうちの一番ついて考えてみたいと思います。私は、不動産の評価に携わって30年になります。大学の2年生の時から、不動産の鑑定事務所でアルバイトを始めました。当時は昔の平成のバブルがピークになっていた頃でした。

その後海外で勉強し、アメリカとイギリスの鑑定士の資格を取りました。ですので世界のほとんどの国では、鑑定評価をすることができます。不動産の制度について客観的に分析することができます。私が直接にはわからなくても、現地の専門家を通じて情報取ることができます。

自分がある一定の範囲の中でしか不動産の評価をやっていなかった時、この仕事が好きではありませんでした。好きになる努力もしなかった自分は、なんと未熟で愚かだったかと思います。

これは経済学の考え方ですが、一つの国や地域の経済が発展していく、発展して儲かったお金はどこに溜まっていくのか?という疑問があります。たくさんの会社が儲かるようになるので、儲かったお金の一部は株主である投資家に還元されます。そして、従業員の給料も良くなります、ですので労働力を提供した労働者にも還元されます。それでもなお余りが出てくるわけです、その儲かったお金の余りというのは不動産の価値に転換していくのです。

これがバブルなどが起こる仕組みになっています。そうすると、国や政治のトップになっている人たちは、目の色を変えて不動産をコントロールしようとします。中国やベトナムなどの共産圏を見れば明らかです。

土地や不動産は経済活動の基盤ですから、とても大切なものです。

土地・不動産を十分に活用して経済活動を行い、きちんとインフラを整備して都市計画を行い、そこに住む人たちが幸せに暮らせる仕組みを作らなければなりません。またそこで出た不動産の収益が、経済活動を妨げないように、そして不当な搾取などがないように、配分されなければいけないと思っています。このような分析やアドバイスは、誰にでもできるものではありません。

これを考えると、自分がやっていることの意義がとても大きくて、世のため人のためにエネルギーを注ぐ価値があることのような気がしてきます。たくさんの利権が絡みますから、利己的な気持ちで不動産の商売をやっている人が多いようにも思います。けれどもその環境の中で、利他の心をベースに不動産の価値を追求していくというのは、とても意義が高いのだと思いました。

こう考えると、まだまだ自分の仕事をとても好きになる余地があると思います。不動産コンサルティング業界で、世界の中でトップの企業は全て外国の企業です。必ずしも利他の心をベースに商売をやっているわけではないと思います。その中で、利他の心に基づいて、不動産の価値を追求するというのは、やはりやる価値があるのだとこれを読んでいて思いました。

あまりにも長く続けていると、過去の様々な思いや経験に押しつぶされて、本来の楽しみが見出せなくなることもあります。けれどもこうして、今の自分ができることをもう一度考えてみると、世のため人のためになる事業です。誇りを持って続けることができるような気がしてきました。

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