2019.8.21
先ほど「狩猟民族が獲物をとらえるときのような手法を取る」と述べました。それは、私が「成功するまであきらめない」ということをフィロソフィーの中で解いていた当時、テレビか何かでアフリカの先住民が手作りの槍一本で獲物を取りに行くシーンを目にしたことがあったからです。家族を飢えから救うために、槍一本を携えて狩に出かけ、獲物である獣の足跡を目ざとく見つけては、どのくらい前に獲物がそこを通ったのかを推察し、追跡する。獲物は移動の合間に必ず休息をとりますから、そこまで追っていき、ついには槍で仕留める。その姿を見た私は、成功するまであきらめないとは、まさにこのことなのだと、わが意をえたり、と言う思いがしました。獲物が休息をとり、寝ているところまでひたすら追っていく、その粘りがあれば、必ず目標は達成できるはずだと思ったわけです。
ここも読み返してみると奥が深い内容です。私たちの仕事も全てこれではないでしょうか。獲物の習性や、生息地を統計資料や情報などから、なんとなくわかっている人はいると思います。我々がお客を捉えるということです。けれどもその足跡や何時間前にここを通ったかというところまでしっかり捉えることできるかというとそうではないと思います。獲物に対する執着が甘いわけです。
休息をとるはずだという仮説、これも当たり前のことのように聞こえますが、我々がいわゆる顧客と接する時にここに気づいていない場合が多いのではないでしょうか?相手の弱点、無防備になるところここを探し出すということです。
そこで十分な食料を携え、相手にこちらの意を読まれないようにして追い詰めていくわけです。私のコンサルティング業、アドバイザリー業に当てはめて考えてみます。相手も気づかない、ここをつかれると困るというところをよくよく理解して、かゆいところに手が届くようにフォローする。そして必ず仕留めるということでしょうか? これはすべて成功するまであきらめないという執念だと思います。「どうすれば必ず成功するのか」、ここに対する思いとこだわりが低かったと思います。この一点に集中するように執念を持ちたいと思います。
さて、これを英語にしてみたいと思います。どんな英語がいいでしょうか?考えてみてください、いつものようにQAでご案内します!