2014.11.5
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いかにして人の目を欺いて自分の利益を確保するか、これはシンガポール人、シンガポール華僑達の根本哲学ともいえるでしょう。
無から有を生む、というと聞こえはいいのですが、要するに、価値のないものを価値があるように見せて、お金をもらう、ということですので、この哲学の根本を流れるものは、いかにしてお金をもうけるか、という商人魂のような気がします。
世界に冠たる大商人、といえば、私のイメージではすぐにオランダ人がでてきます。
オランダもかつては交易でとても栄えた国ですので、オランダ人という国民の基本的なマインドセットは商人、「もうかりまっか?」の商人(あきんど)魂だと思います。
ただ、この商人魂も、洋の東西、シンガポールとオランダではちょっと違うのでは、と思うのです。
それは倫理感、というところでしょうか?
どのような事柄に倫理観を感じ、どのような倫理感を吹き飛ばしているのか?このあたりが違うのではないかと思います。
シンガポールの商人が吹き飛ばす倫理観はウソ、詐欺、ペテンに関することです。要するに騙される方が悪い、騙すのは人として当たり前、騙さなければ生きてはいけない、として平然と騙すのです。
先の国際スタジアム、ハヤリのウエストくびれ強調服がそうでしょう。
シンガポール人は真実、誠実、真正というポイントに関する節操がないのです。
これに対して、オランダ人はどうでしょうか?
思うにオランダ人が吹き飛ばす倫理感は、道徳のような気がします。「たしかに儲かるかもしれないけれど、人としてどうよ!?」という観点では、オランダ人の節操はあまり見られない気がします。
オランダではドラッグが禁じられてない、というのは広く知られている事実です。
おおっぴらにドラッグ合法とは言っていませんが、儲かるものをなぜ禁じる?という精神で、あえて禁じていないのです。
オランダの絵画の巨匠、レンブラントは「トゥルプ教授の解剖講義」の図を書きました。写真もレントゲンもない当時、人の機をてらい、人が見たくても見れないものをあえて見せる、そしてそれをProfit(収益)に結びつける、というのはオランダ人の発想です、ですが、ですが・・・それでも内臓でお金儲けするのはどうよ?!という倫理感、これがオランダ人には奇妙なほど薄いのではないでしょうか?
麻薬をやったら人間がぼろぼろになる、お金が儲かるといっても人間の倫にそむくようなことはしない、こうした節操がオランダ人には見られないような気がするのです。
国ぐるみで騙すことを奨励(容認)するか、国をあげて人としての道を無視するか、この二つの国にみえる商人魂のちがいは、こんなところに見え隠れするのではないか、と思うのです。
写真はベイエリア高級ホテル前に駐車してある外車、シンガポールでは普通の乗用車を所有するのも2000万くらいするとか?