サントス達のつぶやき

2014.11.24

外資とカサンドラ 5聞きたくないことをあえて聞かせるカサンドラ伝説

yukina

日本の企業はとかく上にモノを申すのが大変なところ、というのが私の印象です。
これに対して日本の外資は、もちろん業種や社風にも寄りますが、言い方にさえ気をつければ上に対してものを申し上げるのも比較的やりやすい、という雰囲気があります。
特にヨーロッパの会社(イギリスを除く)は、職務の分離、専門化が著しいので、自分の置かれた立場を全うし、他の部署の機能には一切口出しをしない、という暗黙の了解があるように思います。
日本やアメリカの会社と違い、トップすなわち取締役会も合議制で、ビジネスサイドとリスクサイドが激しく議論を交わして、最終的に会社の方向性を決める、という場面も多くみられました。これがヨーロッパのビジネス社会で、会社の意思決定を遅くする一要因にもなっているのですが、いわゆるワンマン社長の暴走は止められるような気がします。
これに対して日本の会社はどうか、というと、取締役会が意思決定機関であり、そこまでたどり着くのに、階級がたくさんあるので、なかなか企画を上まで上げるのが大変な社会のように思います。
そうするといったんトップまで上がればそれでOKか、決断が早く決まっていくか、というとそうではなく、その企業グループ間の上下関係、役所との関係などなど、社長の一存でおいそれとは決められないことが多いようにも思います。

ちょっと話しがそれてしまいましたが、こうした背景をみてみると、日本はカサンドラの意見であろうと、それ以外の人の意見であろうと、トップまで上がり、さらにトップがそれを聞き入れるということは非常に難しい、といえるのでしょうか?

一方外資でもアメリカなどはトップの力量と伝え方によっては、カサンドラの意見も聞いてもらえるのでは・・・と思います。

外資の中でアメリカの反対極としてのヨーロッパでは、カサンドラの役目がホイッスルブローワー(警鐘鳴らし屋)であれば、その行動はとがめられることはなく、彼女の意見は取締役までたどり着き、最終的には取締役間の力関係でそのホイッスルの採択状況が決まる、といったところでしょうか?

私は不動産鑑定士というプロフェッショナルで不動産ファイナンスに関わっていました。

鑑定というのは、マーケットがヒーティングしていても、採算に合わない価格であれば、「採算にあわないので、注意してください」ときちんとステイト(記述)することが専門家の倫理として求められています。ですので、ひとたび深くビジネスサイドに巻き込まれてしまうと、出ない価格をはじき出すことを強要され、とても苦しい立場におかれる、そういう可能性もないとは言えません。
私はかつて、「自分は、日本で一番幸せなサラリーマン」だと思っていたのですが、それはこうしたジレンマを抱えずにすんだということでもあります。


 

zico

この組織論のところは、仰る通り本当に奥が深くて難しいですよね。。。
一つの視点としては、最終的に人間に信頼を置くのか、組織に信頼を置くのか、
というのがあるのでは、と思いますが、どうでしょうか?

例えば、日本の方からメールをもらうと、“A社営業部サントス様”、という感じですが、
こちらの方からメールをもらうと、“Dear ジーコ”、とこういう感じなんです。

この差はかなり違うのではないかと思いますね。
企業の危機管理でも、不動産鑑定価格でも、“Dear ジーコ”できたメールに対し、”ウソはつけない”という思いをより感じるのは私だけでしょうか?

ひょっとしたら、カサンドラさんもそのあたりの対個人的なグリップ(人の心を捕まえること)ができていたなら、ずいぶん違った展開になった気がするのです。


 

yukina
究極は人と人、ですよね。
外資では、もちろん会社や、個人のスタンスにも寄りますが、会社のバリューをあてにしない、という風潮があります。以前勤めていたドイツの銀行で、外部の専門家に仕事を発注するとき、(External Consultancyを選ぶときに)、上司からこう、言われました。会社ではなく、担当者を選ぶようにしろ!!
こんな風に、会社名ではなく、自分の専門家としての資質を見てもらってアポイントしてもらえれば、コンサル冥利にも尽きるというものです。
私がコンサルなら救われる思いがします。

これも外資では働く上でのメリット、ポジティブな点と言えるかもしれません。

 

ページの先頭へ戻る