サントス達のつぶやき

2015.2.14

欧米は「肉の塊」文化? 14日本人の「食」価値観?

yukina聖なるバレンタインに、血のしたたる肉の話で恐縮ですが・・・

ブラジルの代表料理フェジョアーダは、豚の臓物を豆と一緒に煮込んだものですが、黒人奴隷が発明したもの、というのは広く知られています。

彼らの主人であるポルトガル人は目もくれなかった部分で、捨てていた部位なのですね。それを奴隷達は自分達の知恵で、主人の食べるキュイジーヌよりも美味しいものを作ってしまった。貧しい中で生きる人たちの知恵、を垣間見ているわけですが・・・

「肉の塊」文化は、大航海時代からの名残ではないでしょうか?胡椒がインドからもたらされる前は、保存が難しかったでしょうし、塊の方が、持ちがいいでしょうしね。

想像力を働かせるに、かたまり肉のちょっと色が変わりかけの部分は、切り取って直火であぶって、食べられるところを、そのままかじって食べていたのではないでしょうか?塊の中心(コア)で、まだ腐敗が進んでないところは、焼くなり煮るなりして身分の高い人が食べていたんでしょうかね?

そういうところからすると、薄切り肉は、もしかしたら、ダメになりかけの部分かもしれない、という不安を抱かせるのではないでしょうか?あるいは単純に、一口で食べられるので、食べた気がしないとか?ジューシーな肉汁を味わうには物足りないとか?そんな理由かもしれないですね。

薄切り肉、というのは、だめになるリスクも高いので、そんなリスクを犯すくらいなら(食材をだめにするくらいなら)、塊で保存し、料理したほうがはるかに合理的、というのがアングロサクソンの哲学に合っているような気がします。

あとは、タレ文化、ソース文化ともいいましょうか?私はヨーロッパには、フランス人を除き、ソースにこだわる人種が少ないような気がします。
この考えは、「素材の味を最大限に味わう」という点からは納得できるスタンスなのですが、ときとして、イギリス料理のように本当に「味気のない」料理を作ってしまうことにもなるのですよね。

冷奴に薬味をのせて、しょうゆかけ、おでんに七味やからし、ご指摘の焼肉のタレ、といい、日本食文化というのは、とことんシンプルな食材、プラス「タレ」の文化なのかもしれません。

 

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