2015.4.6
例えば、皆さんもご指摘の点だと思うのですが、
日本国憲法前文に、
”平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した”、とあります。
日本語でよむと、”諸国民“の意味が、
”日本という国の民”、なのか、”日本を除く国々の民”なのか等々
はっきりしていない、と思うのですが、
ウィキペディアによると、この部分のGHQ草稿は下記となっているらしく、
“we have determined to rely for our security and survival upon the justice and good faith of the peace-loving peoples of the world”
“諸国民”というのは要は”世界の民”ということのようです。
“世界の民”が本当に”平和を愛する人達“なのか、”公正と信義を持つ人達”なのか、大いに疑わしいわけですが、そこらへんを全く省みずすべてをぶっ飛ばして
”信頼して(rely)” しまうわけです。
許しがたい(笑)ほどの”理想主義、非現実”ではないでしょうか!
昨今議論の争点になっている第九条も、・・・・平和という意味では理想ですが
「国権の発動たる…」とか「いかなる戦争も…」とかすごく曖昧ですよね。
第9条原案のベースとなったらしいマッカーサーのメモには、次のようにあるらしいですが、”現在世界を席巻しているhigher ideals”、とは何なのでしょうか?
“It relies upon the higher ideals which are now stirring the world for its defense and its protection”
当時、”国連軍を作ることにより各国は軍隊を持たない世界を作る”、
とでもいうような”理想”があったのでしょうか?
もしそうなら、ここにまさに、日本国憲法の理想主義的強さと非現実的弱さが表れている、と言えるのかもしれませんね。
憲法については散々論じられていますが、その元になる、国家とは?という部分の議論が抜けてしまっている気がしますね、日本では・・・。
どういう国を作るのか、世界に向けて何をしていくのか、本当はそこから考えてコンセンサスを得るべきだったのでしょうね・・・