2015.4.26
そういう背景で外国の人から、ところで日本史ってどういうことを教えているの?
こう聞かれることもあると思うんですが、
聞かれた日本人のほうはかなり返答に困るんじゃないでしょうか?
日本人では、重要なところや特に痛いところは教えてもらってない、というか、
教科書も先生も、親やマスコミも含めて社会全体が皆な避けて通っていて、
当たり障りないことだけ書いているというか、
もっと正確に言うとまじめに検証してない分うそだらけになってるとか、
そういう状況が日本の宗教/歴史教育の実態なんじゃないかと思うんです。
ですから、結論としては、数学や理科なんかはまあ多かれ少なかれ、
世界のどこに行ってもある程度同じようなカリキュラムだと思うものの、
歴史や宗教、それから語学はかなり各国で教えていることが違っていて、
その結果世界中にすごい偏見をばら撒いているという、気がしています。
で、そこがネックになって、これだけ国際化が進んで
モノやお金や情報が行き交う世界なのに、
人間だけはいつまでたってもうまくコミュニケートできず、
ケンカばかりしてる、という面は絶対にあると思うんですね。
戦後、というか、ここ近年でも特にそう思いますね。小学生の時に教わった、「日本は間違った、日本は大変なことをした、日本人は気を付けなければいけない・・・」というトーンの教育は、私も含めてたくさんの日本人の価値観を形成してきました。
今、国際的な経験をいろいろ積んで、見分を深めてみると、こうした「教育の姿勢」が必ずしもフェアであったかどうかは疑問ですね。
自分が小さい時から信じてきたものがガラガラと音をたてて崩れ、まったく違う価値観を見るわけですから、ある人にとっては拒否反応がでて当然の状況かもしれません。
でも、歴史はフェアに教えていかなければいけませんよね。そういう意味で自分がかつて習った日本史、そして世界史には、今、うーん、ムムムの疑問がでてくるのです。
ちょっと余談になりますが、算数に関するスタンスは国によってばらつきがあるような気がします。九九を教えるかどうか、これで国民の数学の「でき」に雲泥の差がでてきます。
日本人には知られていない事実ですが、日本人の数学のレベルは世界でもトップクラスです。この背景として、私は九九に秘密があると思っています。日本人ならほとんどの人が九九を唱えることができますが、欧米人はほとんどできません。
私がよく、外国人の私に対する言動で、悔しい思いをする時は「九九もできない奴から、数字やグラフについて指示されたかぁねえよ!!」という怒りを抱く瞬間です!