2015.4.28
同じような例は紀元後12世紀頃をみてもあると思います。
12世紀末に鎌倉幕府が出来て以降、
一山一寧といった中国の禅僧たちが大挙して日本にやってきて
鎌倉の円覚寺等を建立し日本に留まったのですが、
布教熱心や単なる興味からボーっと日本にやってきたのではなくて、
中国大陸が13世紀初めにモンゴル人の元に支配されて、
その迫害を必死になって逃げて日本にたどり着いたのが日本、
そういうのが真実だと思うのです。
モンゴル人の元は西にはハンガリーやポーランドまで侵略するわけですが
(“ハンガリー”という名前は(チンギス)”ハンの国”、を意味する、という説があるのは
良く知られているところと思います。あと、ポーランドあたりの東ヨーロッパで食べている”ピエロギ”という食べ物はモンゴル・北方中国辺りの”餃子”とそっくりです。
中国発祥の技術である”火薬”は元の国によって、イタリアのベネチアに
伝えられ、そこで大砲が作られるキッカケとなったといわれています。
逆に元が拓いたその通称ルート(シルクロード)を逆に伝って、
イタリア・ベネチア人のマルコポーロは、”黄金の国ジパング”を求めて、
13世紀に中国/日本あたりにまで来ていますよね。
あと、紀元後20世紀初頭にも同じような例があります。
その頃、孫文といった大陸の革命家達が日本に大挙しましたが、
それは中国が大混乱していて逃げ出す必要があるからだったと思うのです。
当時中国は日清戦争に負けた清末期で、
ロシア革命(1907年)等を目のあたりにして、
中国での辛亥革命を初めとした大混乱状態にありました。
そこで、まずは日本に逃げて戦略を立て直し、
日本や西洋諸国とのネットワークを再興し資金調達をした、
という側面が強かったのではと思います。