2015.5.2
ここまでで、アジアを中心にアジアの東の端の日本、そしてヨーロッパを中心にその西の端のイギリスをみてみました。ではここで、この二つの大地図を合体させて、(英語でいうところのintegration)横に長―い地図をぐっと上から俯瞰してみてみましょう!
例えば、日本史では、仏教は 紀元後538年ごろ日本に伝わったとありますが、
その頃の地球儀的には、
・ペルシャやトルコ辺りにササーン朝と呼ばれるゾロアスター教の大勢力があって
(紀元後221年頃成立とされ、紀元後651年まで存続)
西にヨーロッパを圧迫/侵略し、東にインドを圧迫/侵略していたのだと思うのです。
いわばこのペルシャやトルコといった地域が、
イタリアのローマ帝国や中国の漢が崩壊したこの時期の、世界の中心だった
と思うのです。軍事的にも、経済的にもまた技術・文化的にも。。
このササーン朝・ゾロアスター勢力という巨大な勢力に抵抗する為に、
ササーン朝の西にあったローマ帝国は
・キリスト教を採用せざるを得なくなり、さらに
首都も(ササーン朝との)最前線である遙か東のイスタンブールに遷都し、
名も東ローマ帝国、とせざるを得なくなった。
一方、ササーン朝の東でも、ササーン朝-ゾロアスター教に抵抗する為に、
インド-グプタ朝が成立し、ヒンズー教を採用せざるを得なくなった結果、
その割を食ってインドでは仏教徒が圧迫され、
・ダルマは479年ごろに中国に逃げ出さざるを得なくなった、
簡単に言うとこういうことだったのではないでしょうか。
ササーン朝-ゾロアスター教勢力範囲(WIKIPEDIA)
・西はトルコ、東はインド辺りまで勢力下においていた。
・西に東ローマ帝国(330年成立)-キリスト教、
東にインド・グプタ朝(320年成立)-ヒンズー教、の成立を促した。
そうだったのか・・・!!!目からウロコのスーパー・ダイナミックビューですよね!!
ちなみに英語でdynamicとは、小さいところにチマチマと収まっていないで、物事・思想が相互に関連し合って、動的につながっていくような動きを見せるときに使う言葉です。We have taken a dynamic marketing strategy in Asian region ‐我々はアジアについては相互に関連し合った動的な販売戦略を展開しました‐などと使います。