サントス達のつぶやき

2015.5.9

モンゴルの別天地は花のお江戸? これ以上簡単にできない!超・世界史16

yukina前回は、モンゴル帝国の解体が各地で新しい政治制度、王朝を起こし、日本では江戸時代となった、というお話でした。
ジーコさん、すみません、この江戸とのつながりがわからないのです。モンゴルの末裔たちは、日本にも別天地を求めたのでしょうか?それとも家康は、大陸でおこっっているイザコザに乗じて、今がチャンスと、日本の統一を進めた?こういうつながりでしょうか??

 


zico

ユキーナさん、この江戸の始まりと、(モンゴルの影響下にあっただろう)明の崩壊並びにムガールや後金/清への以降がどう結びつくのか、私も詳しく調べていません。
ただ、これらの時期がほぼ同じであることから、すごく関連性が強いのでは、と思います。今少し考えただけの超仮説ですが、ムガールや後金/清は、元の末裔というような位置づけなわけですから、原則大陸国家であまり海上貿易になれてはいないはずです。だからこそ、イギリスやオランダといった島国が、チャンス!とばかりに、海岸都市に商館を構え、鉄砲やらキリスト教も携えて、アジアに進出(侵略)してきたわけです。
日本にとってもチャンスであると同時に激辛の脅威だったはずです。
・チャンスと捉えて、海外勢と付き合いをしたのが、信長や秀吉、
・脅威と捉えて、徹底的なコントロール(と独占)をしたのが、江戸幕府。
と考えると、中国大陸や海外の混乱(モンゴル・明の崩壊、西洋の侵略)に乗じたタイミングで、家康が国内でも勝負に出たのではないでしょうか。
つまり、家康勢は、明などの海外貿易が途絶え苦しくなっていた国内旧勢力を乗っ取るために、これまで付き合いのあった旧来海外勢(スペイン・ポルトガル等のカトリック?)を切り、新興海外勢オランダ-プロテスタント(その後長崎・出島等で日本との公式
貿易を独占)と密約した的な???
超仮説として、どうでしょうか???

蛇足ですが、伊達家が江戸幕府に内緒で実はバチカン(カトリック)等に密使を送っていた、というのを聞いたことがありますが、本当でしょうか? 江戸幕府に切られた旧勢力と手を握って伊達家は実は体制内からの江戸幕府転覆を視野に入れていた、と。
こういう海外勢との関係/影響はかなりの日本史を形成してきたような気がします、
もっと研究されるべきテーマなのかもしれませんね。。。

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