サントス達のつぶやき

2015.5.10

イスラムに負けるか!ルネッサンス論 これ以上簡単にできない!超・世界史17

yukina

なるほどジーコさん、モンゴルがカギだったのですね。やはりあの巨大な帝国は、当時を考えてみると、この革命的なテクノロジー(火薬)がなかったら、帝国の巨大版図、というのは実現しなかったわけですね。武と、思想・イデオロギー、カルチャーがここで重なってくるのですね。

でも、この巨大なモンゴル帝国も、ヨーロッパをすべて手中に収める、ということはできなかったわけですよね?ヨーロッパはこの、どうにもならない超強力火薬集団、モンゴル帝国に、どう対処していたのでしょう?
実はこの巨大な帝国を繁栄に導いた火薬、これは中国・イスラムから伝わったもの、さらにこのイスラムの奴らは、かつてのローマ版図だったギリシァからテクノロジーその他、もろもろ学んでいるじゃないか、灯台もと暗しとはこのこと!!
俺たちこそ、自分達の昔の版図だったからところから、進んだテクノロジー、考え方を学ぶべきだったのに・・・!!やつら、イスラムは俺たちが気づかなかったものを掘り起し、もっといいものを着々と作ってやがる!!
ううぬ、その優れた技術を一人占めするのは、俺たちだったはずなのに!
いや、今からでも遅くない、忘れ去ったギリシア・ローマの叡智をいまこそよみがえらせ、俺たちの繁栄をもう一度取り戻そう!
ヨーロッパ勢はルネッサンスでこのように悟ったのではないでしょうか?


zico

ユキーナさん、仰る通り、ヨーロッパ人がそう思った可能性はかなりあると思いますね。やっぱり、イスラムやらモンゴルの進撃をみて、心底の驚きと恐怖心を感じたのだと思います。それまで、ヨーロッパはキリスト教にがんじがらめられて、モノから思想までなにからなみまでバチカンに支配されて、ある意味何の進歩もない中世を歩んでたわけです。そこに突如モンゴルが突撃してきて、慌てふためいて、何とかせにゃならん、カトリック教何ぼのもんじゃ、みたいな状況になったのではと思います、でプロテスタント/ピューリタンなんかも生まれた。
モンゴルに行ったこともあるマルコポーロはイタリア・ヴェネチア人なわけですが、まずヴェネチアで大砲が生み出され、それに触発されその周辺のフィレンツエ等々のイタリア諸国が、ルネッサンスに巻き込まれていったのではないでしょうか。
“カトリックの神は助けてくれない、人間が自分で自分を助けるしかない”、この真理に目覚めたのがルネッサンス。ダンテ、ダビンチ、コペルニクス、ルター、ガリレオ、ケプラー、皆な一気に目覚めた。人間に目覚め、技術に目覚め、バチカンのカトリック教というマインドコントロールを一挙にぶっちぎることによって、昔のギリシャに一気に舞い戻れたんです、それでその後一気呵成にヨーロッパを世界一の文明に戻せたと。

ですが、その当時あまりにも巨大だったモンゴルと、武力の差も歴然としているので、真っ向からガチでぶつかり闘おうとしませんでした。
だから、陸のモンゴルを避け海伝いに東へ拡大していったのです。
そして機が熟すのを待ちました。モンゴル崩壊後の空白を襲うように、1602年には、オランダがインド商館を構えモンゴルが享受していた利益をまんまと得ています。
おなじことは他のヨーロッパの商人、イギリス人も真似をしました。1612年にイギリスもインド商館を構えています。
これらは、単なる仮説ですが、偶然にしては出来過ぎていると思いませんか?。

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