2014.10.24
「こんな、フランスの国歌を歌いたくない移民の選手なんて、フランス人と呼べるか?自分たちと同じフランス人と呼んでいいわけがないだろう!」
というものでした。
気のせいか、ヨーロッパでは、地理的には近いのですが、アフリカ人に対してあからさまな差別があるような気がしていました。
ヨーロッパの各都市が、毎年もちまわりで業界の会議をやっています。
私は過去、数回参加したのですが、毎回ヨーロッパ・アジア、アフリカと参加者は多様でした。
白人はアフリカ人と同じテーブルには座りたがらないようでした。
彼らと同じテーブルに座るのは、毎年いつも決まって私とアジア系の人たち、それと一部の白人でした。
イタリアチームで活躍したバロテッリ(アフリカ系)も、実力を認めてもらうには、相当、苦労したのだろうなぁと思います。
そもそも、”アイデンティティ”には悪いイメージはないと思うのですが、
これだけ均一化も進んだ国際社会になるとどうかなと思います。、(例えば、日本だけでなく海外でも- 程度の差こそあれ-、
マックでバーガー食べて、同じスーツ着て、同じパソコンで仕事し、
週末は同じようにディズニー映画やらワールドサッカー観て、それで
同じ(ような)クルマ乗って、ちょっと(人より)お金かせいで、(海外)リゾート行かなき
ゃ。。的な衣食住から遊び、果ては価値観までの均一化が進んじゃった(あるいは目指
してる?)、ように思うんです。。。)
“均一”の真逆としての”個“のアイデンティティが必要”とも思う反面、
アイデンティティを主張しすぎるのもどうなのかな、と
少し心配になりますね。
つまり、 “フランスのアイデンティティ“を主張することが
フランスに住んでる”非フランス的アイデンティティ”を
否定することになってる。。とか。
その意味、凄く難しい社会になったのでしょうね。
まさにアイデンティティの弱肉強食ですね。
(ちなみにこれ、四字熟語問題では○肉○食、「焼肉定食」と書ける、というネタに使われますが・・・)
俺たちのアイデンティティ、(同一性)、俺たちの個性、俺たちのプライド!
と、みんなが主張しだすと、お互いが激しくぶつかりますからね。
かといって、私たちには特に個性はありません、私は特に主張したいものがないのです・・・
というのも、強すぎる個、パワフルなアイデンティティに引きずられてしまうのでは、という気がします。
かつて何かの論文で、「没日本のアイデンティティ」というのを読んだ気がします。
日本人は横並び意識が強く、出る杭は打たれるので、強烈に個を主張することがなくなった・・という内容だったと思います。
これは、日本民族の歴史やシミラリティという問題に発展しそうなので、この辺にしておきますが・・
確かに日本民族の横並び、歴史やシミラリティは又別の機会につぶやきたいですね。
いつも思うのですが、特に、明治時代の肖像写真(家族で撮った写真であっても)、あの頃の日本人の顔つきは凄く今と違ってるように見えるんです。
“横並び”ではない、”意志”と”行動”が、写真に出てるような気が。。。
色んな意見があるでしょうけど、いわゆる(西洋に)”追いつけ追い越せ”、だけではない
何か(?)を覚悟した(あくまで仮説ですが。。)、ということはないのでしょうかね?
坂本龍馬とかに、感じるイメージのような気がします・・・
次話のテーマにどうですか?
「横並びVS意思(Determination)」としましょうか?