2015.8.26
テクノロジーには熱意がなければならない、これが前回の最後のくだりでした。
例えば、フランス革命(1789年)で人間はまさに一人一人が各所で自由に生き生きと活動できるようになり、それ以降のテクノロジーと思想の発展を支えたのではないでしょうか。
一方、共産主義(それ自体は素晴らしいユートピア思想だと思うのですが)が、
結果として人間の意欲をそぎ、社会の効率が落ち、新たなテクノロジーを生まず、
思想も劣化し、血液も回らなくなった、ように見えるのは私だけでしょうか。
あと、中世ヨーロッパのカトリック支配、中~近世中国の陽明学の跋扈(注:ばっこ のさばりはびこること)、といった影響で、
人間の自由な活動が阻害された結果、
テクノロジーの変化を遅らせ、ついには文明を死に追い込んだのでは、
という仮説もありえるような気がしています。
ユキーナさんが初めに仰った”武力”という話に戻りますが、昨今は、単純な”武力”が行使しにくくなった為、違った形での”力”が使われるようになってきた気がします。
例えばこういうものがあるのではないでしょうか。
・テクノロジー戦争(例えば特許/著作権)、思想コントロール(例えば新興宗教)、
・人間抑圧(例えば税制/会社隷属という名の新奴隷制度)、為替操作(例えば中央銀行制)
おっしゃるとおりですね、人類を作ることまで可能になってしまった現在、ある種を作ったり、絶滅させたりすること、これも「ありえない」話ではなくなっているのでしょうね。