2015.9.4
ユキーナさんのご心配ももっともです。ちょっと説明しますね。
つまり、じゃ、毎日生きていくのにどうするの?とか、
自分の心に沸き起こる不条理感、不安、これをどうやって解決するの?
こういった細かな処世術・ノウハウは、これは実際には、後世、各地域で広められたんですね。
でも、太古の根本問題は、紀元前のこんな昔に、すでに解決済みだったんです。
まあ、そうかもしれませんね。その後の宗教は、やはり旧に対して新、というバリエーションの域を超えないのだと思います。
根本のところは、多かれ少なかれ、どれも似ていて、善と悪というポジションがあり、それが直線状で入れ替わり立ち代わりでてくるのか、それとも輪のようにぐるぐるまわっていくのか、こうした違いなのかもしれません。
ではその後の思想、倫理、宗教観はどうか?ということを考えてみます。
その後の思想は敢えて言うと、哲学的な発展はあまりみられず、いわば、
帝国を維持する為に作られた一種の”ゴマカシ”の面が強い、ような気がするのです。
前回も触れましたが、例えばローマ帝国はなぜキリスト教を国教として採用したのか、といいますと、それは、東からの脅威に抵抗してローマ帝国を宗教という洗脳(良い意味も悪い意味も)で統一し、人民の士気と/統制を保つ為、だと思います。
で、後世の為政者は(聖職者と一緒に)、人民を手足のように使う為に、開祖キリストの教義(あるいはモーゼやユダヤの教え)をある意味都合のよいように解釈(捏造でないにしても)しながら、大々的にスローガンに掲げたわけです。(その都合の良い解釈の総まとめの一つにトーマスアキナスによる神学大全があるわけです)
うーんジーコさん、宗教はある意味、為政者のゴマカシですか・・?
「十字軍」とかもつかえるのですか?要するに「帝国を維持するためのゴマカシ」を具体的に理解したいです。
そうですね、明らかにエルサレム聖地奪還という宗教上目的(ゴマカシ)を掲げ、政治・軍事上イスラム教国に対抗しようという企みだったのではないでしょうか。