2015.9.5
前回までで度々述べてきましたが、テクノロジーと思想は表裏一体で、思想が滞るとテクノロジーが発展しない、そして技術が前に進まない、ということは、思想自体も発展しない、帝国を維持するその道具になってしまう、こういう危険があるのです。
これは歴史の流れに見て取れると思います。
中東・東洋の発展をみてみましょう。
中国・唐や、ペルシャ・アッバース朝では(例えば、唐の製紙/印刷/羅針盤/火薬、
ペルシャの製紙/化学/複式簿記)のあらゆる分野での発見がありました。
思想の面でも唐では仏教の拡大、ペルシャではイスラム教の拡大という
発達があったのです。
これとヨーロッパを比べてみましょう。
ローマ帝国がイスタンブールに首都を移した330年以降、
ダンテ(1265-)のルネッサンスへの試みが芽生えるまでには、
めざましい中世ヨーロッパの発見というものはほとんど
見ることができないと思うのです。これはどうしてでしょうか?
ギリシャ哲学に見られるように根本思想的に根本は解決、
人間が人生を全うする上での細かい協議(ローマ法とか)も体系付けられていて、
それ以上発展の余地が当時なかった。
これも一つの仮説となりえます。
ですが、それは東洋とて同じような状況です。
仏教、儒老荘揃い、律令も整っていたわけです
ではどうして東洋ではこれほど思想が発達して中世のヨーロッパにはなかったのか?
思うにその理由はバチカンによる統制(思想も含め)が進みすぎて、
テクノロジー発生の母である、人間の自由な精神が抑圧されてしまっていたから、
なのではないでしょうか。13世紀に書かれた神学大全(トーマスアキナス著)という本
があります。日本語での訳本も出ているようで当時のいわゆるキリスト教学を全てま
とめようとした傑作とされているようです。
これを読めば、当時のキリスト教学がどういう(ヒド
イ)ものであったのか、それがその後にどういう影響を与えたのかよくわかるのではないしょうか。