2019.12.27
今日は、下記を英語にしてみましょう。いつものようにQAスタイルで、適度なボリュームに仕上げます!
我々経営者は、常に判断を行っています。様々な案件に対し、「これは良い」「これは悪い」という判断を下します。その判断の集積されたものが、企業の業績なのだろうと思うのです。
では、その判断はどのようにしてするのかといいますと、それはその人の心を基準にするのだろうと思うのです。では、「心」というものはどういうものか。私は、それは同心円状の重層構造をしており、その中心には、「魂」があると考えています。われわれはこの「魂」というもので常に判断をしているのです。ではその「魂」というのはどのようなものなのか?私もよくわかりません。しかし、私が経営判断をする時、子供の頃、両親や小学校の先生に教わった「やって良いこと、悪いこと」という最もプリミティブな規範を判断基準としてきました。これこそが、今、思えば「魂」から発言した判断基準ではないかと感じられるのです。私はそのようなことを基準に判断し、今日まで経営をしてきたことで、現在の京セラがあると思っています。この事は、また「人間として何が正しいのか」という事でもあるのです。
この話は、これまでの講話の中で何度か出てきた内容だと思います。何度か聞いて考えるうちに、だんだんわかってきたことがあります。
メンタルブロックという考え方があります。これは人間の思い込みや思い癖のようなものです。これは潜在意識に浸透しますので、人間の言動のほとんどに影響を及ぼします。人間は潜在意識に基づいて言葉を発し、潜在意識の働きによって行動しているとも言えます。顕在意識が関与する場合は極めて限られている、と言ってもいいかもしれません。
潜在意識に浸透するメンタルブロックは概ね6歳位までの時にできあがる、と言われています。
稲盛氏の場合、まさに幼少期の頃、ご両親が言われた人間として正しいことをする、これが1つのブロックのようにご自身の潜在意識に落とし込まれたものと思われます。人間として正しいことをしないと、大好きだったお母様から愛されない、あるいは人から好かれない、生きていけない、このような思いがあったのかもしれません。
どのような両親のもとに生まれて、どのようなメンタルブロックを持つか、これも全て、自分が魂レベルの時に選んで生まれてくると言われています。
稲盛氏にはその後、事業を起こし、たくさんの方を幸せにする、というご自身の使命があったので、このようなブロックを選んで生まれてこられたのだと思います。
おそらく様々な場面で、悩まれたり苦しまれたりされたこともあったのかと思います。
けれども結果的には、この思いを持っていることで、成し遂げた、たくさんのことがあったと思います。
メンタルブロックというのは、人間の成長の様々な過程で、必要に応じてアレンジされて、その人、個人個人に根付いて行きます。
小さい時ご両親に言われたことと稲盛氏自身が経営人生の中で考えられた「人間として正しいこと」は必ずしも同じではないかもしれません。けれどもそれは、経営者としての人生を歩んでいく中で、ご自身にとって必要な解釈であったように思います。
例えば、ご両親から「弱い者をいじめてはいけない」、と教わったとします。これをこのまま会社経営に適用すると、会社の中で業績が上がらないもの、成績が悪いもの、が弱者のように見えることがあります。能力に優劣があるとするならば、その能力が劣っていると見られてしまうような人たちです。
このような人たちを、保護するのか、それとも厳しくしていくのか?このようなことにも一つ一つ悩まれて答えを考えられたのだろうと思います。
京セラフィロソフィーの中にある「小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり」という一節も、悩まれて、多く実践を行った末に出てきた教訓のように思います。
こうして考えてみると、考え方の基本に、人間として正しいことをする、があり、それを実践を通じて解釈することがとても大切になってきます。
ここで次に着目するのはその解釈の基準です。解釈の基準が、利己的なものではなく、最終的に相手のため、人のためということを考えていくと、「自分の都合のいいように解釈をする」、場面が少なくなっていくのかと思います。
だからここで繰り返し、魂についてお話をされているのではないかと思います。魂を少しでも良くして、与えられた人生を生き抜くということが大切なのではないかと思いました。