2020.3.7
もうあっというまに三月です。
また、これを英語で言ったら?考えてみました。
日本語を書きますね。
京セラ名誉会長の稲盛氏のコメントを記載させていただきます。
「西井さんの会社は、メーカーではなくて、塗料メーカーの製品を販売している会社です。しかし塗料という材料をただ売るだけではなく、場合によってはお客様のところに行って、塗料を塗ることもします。また(西井さんの会社は)塗料の資材も販売します。(別の言い方をすると、西井さんは)塗料メーカーの塗料という材料を売るために、ノウハウやサービスを提供して販売しておられるのです。
そうした会社が、日産のリバイバルプランに遭遇します。カルロス・ゴーン社長の要求は、25%のコストダウンという厳しいものです。西井さんは(塗料供給業者として継続して日産と契約するために、)一生懸命努力されます。しかし西井さんの会社は、日本油脂とドイツの塗料メーカーが組んだグループに遅れをとってしまって、最終的に月に5億円ほどあった仕事が一瞬にして半分ほどに減ってしまいます。
失ったものが多すぎますから、社員はみんなが泣いて、もうダメだと西井さんも思います。そうした時に盛和塾で学ばれて、そこから必死の努力をされます。最終的には我慢に我慢を重ね、日産も西井塗料に頼ったほうがいいと思うようになります。
私が美しいと思いますのは、(西井さんが)一言も恨みを言わないことです。本日で日産の仕事が最後という時に、西井さんの会社の社員は最後の1塗り、最後の塗料の一滴にまで、誠心誠意を傾けます。西井さんと、西井さんの会社の社員は次の機会が来るまで力を蓄えて、あらゆる努力をされます。多くの企業が日産のリバイバルプランで、もろくも崩れてしまう中で、重要なサプライヤーになられました。それはあくまで、前向きにやられてきた結果なのです。
私も若い頃、松下電器産業の下請けの協力工場をしていて、毎年毎年、厳しい値下げ要求されました。協力工場の長老とも言える人たちの中には、松下に恨みを言う方もいました。「松下がどんな立派な会社か知らんけど、ひどいことをする。下請けをいじめて、我々の生き血を吸って生きている」というのです。しかしそういう恨み言をいう会社はなくなっていきました。その時に私も辛い思いをしましたが、それによって当社の製造の意欲が生まれ、ひいては競争力を作っていったのです。厳しい世界が自分たちを、さらに高めてくれたのです。」
恨み言を言わず、特定の人を恨んだりしない、この姿勢はとても大切です。日本の有名な実業家の方は、このようなマインドセットを持っていたのだと思います。例えば、サントリーの創業者、鳥居信治郎氏は、最愛の息子さんが亡くなった時にも、人を恨むということをしませんでした。
これを英語にしてみます!